「武術」と「武道」と「武士道」を一緒に考えている人達は意外に多い。
「武士道」とは「いかに自己犠牲をして、主君に忠誠を尽くすか」。
「いかに死ぬか」を追求した。
「死に様である」。
これは武士の一つの理想像であった。
「武術」は「いかに生き残るか」を追求した。
一生をかけた修行と伝授によって、「いかに生きるか」を自問自答していた。
「生き様である」。
どちらも両極端であり、相反するものであるが、両方とも理想の武士像を追及している姿。
内容は全く別のものであるが。
明治時代の初めまで、「武術」という言葉は残っていたようだ。
講道館柔道が「柔術」を「柔道」と称して、これが浸透する。
「剣術」も「剣道」と統一される。
私自身はと言うと、武術家としてありたいと常々思い考え行動している。
「己に克つ」事こそが武術修行の目的なのに、この様な言葉にとらわれている自分は情けない。
またまた反省である。
なんか、いつも反省しているなぁ(笑)
「俺の生き様を見ろ!」。そう言える「男」になれ!これが、先代の教えであった。
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