一般の部の稽古は昨日の山稽古で腰がパンパンの状態・・・
動くのが非常にツライ・・・
見学者が一名。
基本稽古を念入りにする。
茶帯の彼も腕の筋が伸びている為に、まともな稽古はできない。
60代の方が何故か一番元気がある(笑)
かなり体力もアップして、基本も少しづつ覚えてきた。
嬉しいですね。こういう姿を見ると。
60歳を過ぎて、これだけ伸びれるのは努力以外の何物でもありません。
若い人間の方が出来ない人もいる。
最近は怪我人が多い。
怪我をすると稽古が出来なくなる。それがツライ。
今日も一人、白帯の20代の彼が鼻の骨を折ってしまった。
泣きながら稽古を続ける姿は中々のもの。最後のスタミナ稽古も何とかこなす。
勿論、稽古が終った後にはすぐに病院へ直行。
根性ついたなぁ。
怪我の少ない稽古を心掛けていかなければならない、と改めて思いました。
自分が怪我する分は全然構わないんですが・・・
生徒さんに怪我人が出ると、どうもいけない・・・
怪我は気をつけましょう。
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2008年9月29日月曜日
「引退」
小泉元首相が政界を引退するという。
永田町ではカンカンガクガク。
去り際の見事さは、凄い。理由はどうあれ。
引退するというのは、その世界でずっとやってきた人にとっては、物凄い思いがあるだろう。
晩年をどう生きるか?
それを自分自身で描くのは難しいだろう。
去り際の見事さでいえば、不二流体術の初代・古賀不二人先生も見事だった。
先代の大先生と出会って、すぐに引退。
「あんたの好きにしなさい」と全てを任せる。
先代の大先生の引退も見事の一言。
引退を決める一ヶ月前から「行」に入り、自分自身を鉄に例え、「はがねを鍛えに鍛えぬいた」。
絶対に間違いが無いようにと、酒を断ち、毎日「行」をして、一ヶ月後に結論を出した。
私が継承したのは、その「偉大な先人二人」の作ってきた歴史。
非常に重い。今もその重責を毎日思う。
自分が引退する時は、果たしてどうなのであろう?
晩年の事も今から考えておかなければならないのか?
全盛期は凄く、晩年が汚れる人は多い。
晩年まで見事にという形は少ないように思える。
引退する場合がベストの場合と、死ぬまで引退しない場合がベストの状態と、色々な場合があるであろう。
偉大な先人の名を汚さぬように、精進するのみである。
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それを自分自身で描くのは難しいだろう。
去り際の見事さでいえば、不二流体術の初代・古賀不二人先生も見事だった。
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先代の大先生の引退も見事の一言。
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絶対に間違いが無いようにと、酒を断ち、毎日「行」をして、一ヶ月後に結論を出した。
私が継承したのは、その「偉大な先人二人」の作ってきた歴史。
非常に重い。今もその重責を毎日思う。
自分が引退する時は、果たしてどうなのであろう?
晩年の事も今から考えておかなければならないのか?
全盛期は凄く、晩年が汚れる人は多い。
晩年まで見事にという形は少ないように思える。
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2008年9月28日日曜日
「次世代」
師匠と弟子。
最近では耳慣れない言葉になってきた。
生徒と先生。こういう形はよくある。
不二流体術の初代の「古賀不二人先生」は「弟子」と「生徒」を分けて考えていたようである。
住み込みの者を「弟子」。通いの者を「生徒」。と位置付けていたようである。
私の師匠は二人いる。一人は不二流体術の先代の宗家である大先生(おおせんせい)。
もう一人は、5歳の頃より柔道を習っていた、大先生(だいせんせい)。
師匠から弟子へ、技術と精神が「相伝」される。
師匠を持ったことがない人には、分からない事がたくさんある。
武術の「相伝」の最大の「意義」は、「血は絶えても、流儀は残る」ことにある。
流儀は次代に継承していかなければならない。
誰かの我儘や、欲得で絶えさせては絶対にいけない。
しかし、現在その継承者がいないために、絶えている「流派」は多い。
「相伝」とは先代からの授けられた形を、次代に継承することである。
不二流体術は現在、私で第三代である。
次に継承するのが、私の役目である。
次世代に伝えていく為に「試行錯誤」の毎日である。
武術というものを、まだまだ掘り下げていかなければならない。
深い!掘れば掘るほど深い。
これをどう次世代に伝えていくか・・・
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師匠から弟子へ、技術と精神が「相伝」される。
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武術の「相伝」の最大の「意義」は、「血は絶えても、流儀は残る」ことにある。
流儀は次代に継承していかなければならない。
誰かの我儘や、欲得で絶えさせては絶対にいけない。
しかし、現在その継承者がいないために、絶えている「流派」は多い。
「相伝」とは先代からの授けられた形を、次代に継承することである。
不二流体術は現在、私で第三代である。
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2008年9月27日土曜日
「神棚」
中学校などの柔道場や剣道場には「神棚」がある。
この「神棚」に対して、生徒の親がクレームをつけたという事がある。
「うちは、神道ではない。」「授業で神棚に礼をするなどと言うのは、軍国主義に戻るのではないか!」「信仰の自由を侵害する」等と言って。
訴訟に発展した!
え~!な、なんで!
こういう人の事を「モンスターペアレント」というのか?
どういう思考をしたら、そのような考え方になるのかが、今もって全然理解できない。
「道場に神棚を祭る習慣は、明治維新後の政策によって始まった。」という研究家もいるみたいだが、それは違う。
いつの頃からは不明だが、江戸時代の道場には間違いなく、神棚は存在していた。
鹿嶋・香取などの「武神」を祭り、毎年一月に祭典などをして、お神酒を頂戴させていたようだ。
こういう事を、おろそかにする人をたまに見かけるが、武術に対する思いも、道場に対する思いも、その程度なのであろう。
そういう人は、技術的にもたいしたことはない。
現在では「道場」と言われている場所も、昔は「稽古場」と言われていた。
道場と言う言葉は、正式には仏教の修行場所の事を言う。
江戸時代より以前は、道場はほとんどが「屋外」。雨が降れば、雨の中でする。
確かに実践では、雨の中や雪の中、色々な場面で稽古している方が役に立つ。
現在のように、室内での稽古は江戸時代に入ってから。
毎日稽古できる場所があるというのは、それだけで幸せである。
もっともっと活かさないといけない。
現在、不二流体術の道場では、稽古の始まる前と稽古の終わった後に、雑巾がけから便所掃除など、まずは「掃除」から始り、掃除で終わる。
自分が使う場所を綺麗にするのは、当たり前の事である。
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「うちは、神道ではない。」「授業で神棚に礼をするなどと言うのは、軍国主義に戻るのではないか!」「信仰の自由を侵害する」等と言って。
訴訟に発展した!
え~!な、なんで!
こういう人の事を「モンスターペアレント」というのか?
どういう思考をしたら、そのような考え方になるのかが、今もって全然理解できない。
「道場に神棚を祭る習慣は、明治維新後の政策によって始まった。」という研究家もいるみたいだが、それは違う。
いつの頃からは不明だが、江戸時代の道場には間違いなく、神棚は存在していた。
鹿嶋・香取などの「武神」を祭り、毎年一月に祭典などをして、お神酒を頂戴させていたようだ。
こういう事を、おろそかにする人をたまに見かけるが、武術に対する思いも、道場に対する思いも、その程度なのであろう。
そういう人は、技術的にもたいしたことはない。
現在では「道場」と言われている場所も、昔は「稽古場」と言われていた。
道場と言う言葉は、正式には仏教の修行場所の事を言う。
江戸時代より以前は、道場はほとんどが「屋外」。雨が降れば、雨の中でする。
確かに実践では、雨の中や雪の中、色々な場面で稽古している方が役に立つ。
現在のように、室内での稽古は江戸時代に入ってから。
毎日稽古できる場所があるというのは、それだけで幸せである。
もっともっと活かさないといけない。
現在、不二流体術の道場では、稽古の始まる前と稽古の終わった後に、雑巾がけから便所掃除など、まずは「掃除」から始り、掃除で終わる。
自分が使う場所を綺麗にするのは、当たり前の事である。
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2008年9月26日金曜日
「へろへろ」
今日は久しぶりに「山稽古」をした。
夜中の11時から朝の10時まで。
ついつい張り切りすぎてしまった・・・
さすがに、山から下りて来た時には「へろへろ」。
歩くのもツライ・・・
今なら小学生にも負けてしまうかも・・・(笑)
腰はパンパン。足はガクガク。老人の様な歩き方になっている(笑)
まだまだ修行が足りないですね。
今日は普段とは違う事が・・・
山を登っていると、ある関節技の場面が何度も何度も脳裏をよぎる。
何度も立ち止まり、繰り返す。
これは発見なのか、どうなのか。道場に戻ってからしてみよう。
いつも途中で立ち寄る小さな神社があります。もちろん無人の。
そこで座禅をしたりするのですが、今日は人が寝ていました。
真夜中なので互いにビックリです。修験者の方でした。
初めてみました。修験者の方が山籠りされている姿を。
いいですね。こういう姿を見れるだけで「本物」はいると確信できます。
そして毎回、鹿は会うのですが、今日はかなり近くで会いました。
会いに来てくれたのか!(笑)
そんなわけないか(笑)
触りたくなり、更に近づき口笛を吹いていると、今度は鳥達が騒ぎ出しました。
山頂は物凄い霧の中。
このような状況になると、自然の凄さを改めて感じます。
神秘的という表現があっているかどうか。映画にでも出てきそうな場面です。自然の中に身を置くと、心が落ち着きます。
自然の中にいると、自分自身の小ささを身にしみて感じます。
自然の中に身を置くと、エネルギーを貰います。
自然の大きさを感じると、人間相手はた易く思えるようになるのは私だけなのであろうか?
身体はへろへろですが、心は爽快。
人それぞれ様々な鍛え方があります。
私にとっては、これが何よりの鍛え方。
こういう事が出来る事に「感謝」です。
今日は、もう動けません(笑)
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ついつい張り切りすぎてしまった・・・
さすがに、山から下りて来た時には「へろへろ」。
歩くのもツライ・・・
今なら小学生にも負けてしまうかも・・・(笑)
腰はパンパン。足はガクガク。老人の様な歩き方になっている(笑)
まだまだ修行が足りないですね。
今日は普段とは違う事が・・・
山を登っていると、ある関節技の場面が何度も何度も脳裏をよぎる。
何度も立ち止まり、繰り返す。
これは発見なのか、どうなのか。道場に戻ってからしてみよう。
いつも途中で立ち寄る小さな神社があります。もちろん無人の。
そこで座禅をしたりするのですが、今日は人が寝ていました。
真夜中なので互いにビックリです。修験者の方でした。
初めてみました。修験者の方が山籠りされている姿を。
いいですね。こういう姿を見れるだけで「本物」はいると確信できます。
そして毎回、鹿は会うのですが、今日はかなり近くで会いました。
会いに来てくれたのか!(笑)
そんなわけないか(笑)
触りたくなり、更に近づき口笛を吹いていると、今度は鳥達が騒ぎ出しました。
山頂は物凄い霧の中。
このような状況になると、自然の凄さを改めて感じます。
神秘的という表現があっているかどうか。映画にでも出てきそうな場面です。自然の中に身を置くと、心が落ち着きます。
自然の中にいると、自分自身の小ささを身にしみて感じます。
自然の中に身を置くと、エネルギーを貰います。
自然の大きさを感じると、人間相手はた易く思えるようになるのは私だけなのであろうか?
身体はへろへろですが、心は爽快。
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私にとっては、これが何よりの鍛え方。
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2008年9月24日水曜日
「生き様」
「武術」と「武道」と「武士道」を一緒に考えている人達は意外に多い。
「武士道」とは「いかに自己犠牲をして、主君に忠誠を尽くすか」。
「いかに死ぬか」を追求した。
「死に様である」。
これは武士の一つの理想像であった。
「武術」は「いかに生き残るか」を追求した。
一生をかけた修行と伝授によって、「いかに生きるか」を自問自答していた。
「生き様である」。
どちらも両極端であり、相反するものであるが、両方とも理想の武士像を追及している姿。
内容は全く別のものであるが。
明治時代の初めまで、「武術」という言葉は残っていたようだ。
講道館柔道が「柔術」を「柔道」と称して、これが浸透する。
「剣術」も「剣道」と統一される。
私自身はと言うと、武術家としてありたいと常々思い考え行動している。
「己に克つ」事こそが武術修行の目的なのに、この様な言葉にとらわれている自分は情けない。
またまた反省である。
なんか、いつも反省しているなぁ(笑)
「俺の生き様を見ろ!」。そう言える「男」になれ!これが、先代の教えであった。
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一生をかけた修行と伝授によって、「いかに生きるか」を自問自答していた。
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内容は全く別のものであるが。
明治時代の初めまで、「武術」という言葉は残っていたようだ。
講道館柔道が「柔術」を「柔道」と称して、これが浸透する。
「剣術」も「剣道」と統一される。
私自身はと言うと、武術家としてありたいと常々思い考え行動している。
「己に克つ」事こそが武術修行の目的なのに、この様な言葉にとらわれている自分は情けない。
またまた反省である。
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2008年9月23日火曜日
「摩利支天」
私は昔から「真言密教」に縁がある。
私自身の家は、真言密教ではない。
「真言密教」というのは「弘法大師・空海」が日本で広めた仏教である。「四国八十八ヶ所」などは有名です。
私が福岡で行っている「滝」も、「真言密教」の場所が多い。
「武術」と「真言密教」には深い繋がりがある。
「武術」の「秘事伝授」や「修行段階」「免許制度」などは「真言密教」を参考にして、出来ている。
武術には「呪法」や「法術」と言われる「真言密教」から学んだ極意と言われるものもある。
多くの流派で採用されていたのは、「九字十字護身法」である。
真言密教では「摩利支天兵法九字秘密法」というもの。
昔の武将達は「武士の守護神」として、「摩利支天」と言う女神を崇拝していた。
武術も技術だけで終わらずに、究極のところ「戦わずに勝つ」と言った技術を超越した「境地」を求めた為。
スポーツではなく、常に「生死がかかった」バックボーンがあった為である。
「真言密教」では入門の際に出家受戒を行い、神文を阿闍梨に提出する。
「武術」では入門の際に「起請文」を師範に提出する。
今でいう「誓約書」です。
「真言密教」では全ての修行が終了した時点で「免許授与」の際には、
「伝法潅頂の式」を挙げる。
この「伝法潅頂(でんぽうかんじょう)の式」を正式には「印信許可」という。
これを得た者は「阿闍梨(あじゃり)」となり、武術でいうところの「師範」となる。
武術の免許皆伝を「印可(いんか)」「印許(いんきょ)」というのは、この「印信許可」を略している 。
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武術には「呪法」や「法術」と言われる「真言密教」から学んだ極意と言われるものもある。
多くの流派で採用されていたのは、「九字十字護身法」である。
真言密教では「摩利支天兵法九字秘密法」というもの。
昔の武将達は「武士の守護神」として、「摩利支天」と言う女神を崇拝していた。
武術も技術だけで終わらずに、究極のところ「戦わずに勝つ」と言った技術を超越した「境地」を求めた為。
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「真言密教」では全ての修行が終了した時点で「免許授与」の際には、
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