2008年9月30日火曜日

「怪我」

一般の部の稽古は昨日の山稽古で腰がパンパンの状態・・・

動くのが非常にツライ・・・

見学者が一名。

基本稽古を念入りにする。

茶帯の彼も腕の筋が伸びている為に、まともな稽古はできない。
60代の方が何故か一番元気がある(笑)
かなり体力もアップして、基本も少しづつ覚えてきた。

嬉しいですね。こういう姿を見ると。

60歳を過ぎて、これだけ伸びれるのは努力以外の何物でもありません。

若い人間の方が出来ない人もいる。

最近は怪我人が多い。

怪我をすると稽古が出来なくなる。それがツライ。

今日も一人、白帯の20代の彼が鼻の骨を折ってしまった。
泣きながら稽古を続ける姿は中々のもの。最後のスタミナ稽古も何とかこなす。

勿論、稽古が終った後にはすぐに病院へ直行。
根性ついたなぁ。

怪我の少ない稽古を心掛けていかなければならない、と改めて思いました。

自分が怪我する分は全然構わないんですが・・・

生徒さんに怪我人が出ると、どうもいけない・・・

怪我は気をつけましょう。

■不二流公式ホームページ
■不二流公式モバイルページ
■mixi(ミクシー)版 宗家の日誌
■livedoor(ライブドア)版 宗家の日誌
■Ameba(アメブロ)版 宗家の日誌
奉納演武会日程情報やDVD・書籍等のお知らせが貴方の手元に届きます。
登録宜しくお願い致します。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
■不二流体術ニュースマガジン

2008年9月29日月曜日

「引退」

小泉元首相が政界を引退するという。

永田町ではカンカンガクガク。

去り際の見事さは、凄い。理由はどうあれ。

引退するというのは、その世界でずっとやってきた人にとっては、物凄い思いがあるだろう。

晩年をどう生きるか?

それを自分自身で描くのは難しいだろう。

去り際の見事さでいえば、不二流体術の初代・古賀不二人先生も見事だった。

先代の大先生と出会って、すぐに引退。

「あんたの好きにしなさい」と全てを任せる。

先代の大先生の引退も見事の一言。

引退を決める一ヶ月前から「行」に入り、自分自身を鉄に例え、「はがねを鍛えに鍛えぬいた」。

絶対に間違いが無いようにと、酒を断ち、毎日「行」をして、一ヶ月後に結論を出した。

私が継承したのは、その「偉大な先人二人」の作ってきた歴史。

非常に重い。今もその重責を毎日思う。

自分が引退する時は、果たしてどうなのであろう?

晩年の事も今から考えておかなければならないのか?
全盛期は凄く、晩年が汚れる人は多い。

晩年まで見事にという形は少ないように思える。

引退する場合がベストの場合と、死ぬまで引退しない場合がベストの状態と、色々な場合があるであろう。
偉大な先人の名を汚さぬように、精進するのみである。

■不二流公式ホームページ
■不二流公式モバイルページ
■mixi(ミクシー)版 宗家の日誌
■livedoor(ライブドア)版 宗家の日誌
■Ameba(アメブロ)版 宗家の日誌
奉納演武会日程情報やDVD・書籍等のお知らせが貴方の手元に届きます。
登録宜しくお願い致します。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
■不二流体術ニュースマガジン

2008年9月28日日曜日

「次世代」

師匠と弟子。

最近では耳慣れない言葉になってきた。

生徒と先生。こういう形はよくある。

不二流体術の初代の「古賀不二人先生」は「弟子」と「生徒」を分けて考えていたようである。

住み込みの者を「弟子」。通いの者を「生徒」。と位置付けていたようである。

私の師匠は二人いる。一人は不二流体術の先代の宗家である大先生(おおせんせい)。

もう一人は、5歳の頃より柔道を習っていた、大先生(だいせんせい)。

師匠から弟子へ、技術と精神が「相伝」される。

師匠を持ったことがない人には、分からない事がたくさんある。

武術の「相伝」の最大の「意義」は、「血は絶えても、流儀は残る」ことにある。

流儀は次代に継承していかなければならない。

誰かの我儘や、欲得で絶えさせては絶対にいけない。

しかし、現在その継承者がいないために、絶えている「流派」は多い。

「相伝」とは先代からの授けられた形を、次代に継承することである。
不二流体術は現在、私で第三代である。

次に継承するのが、私の役目である。

次世代に伝えていく為に「試行錯誤」の毎日である。

武術というものを、まだまだ掘り下げていかなければならない。

深い!掘れば掘るほど深い。

これをどう次世代に伝えていくか・・・

■不二流公式ホームページ
■不二流公式モバイルページ
■mixi(ミクシー)版 宗家の日誌
■livedoor(ライブドア)版 宗家の日誌
■Ameba(アメブロ)版 宗家の日誌
奉納演武会日程情報やDVD・書籍等のお知らせが貴方の手元に届きます。
登録宜しくお願い致します。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
■不二流体術ニュースマガジン

2008年9月27日土曜日

「神棚」

中学校などの柔道場や剣道場には「神棚」がある。

この「神棚」に対して、生徒の親がクレームをつけたという事がある。

「うちは、神道ではない。」「授業で神棚に礼をするなどと言うのは、軍国主義に戻るのではないか!」「信仰の自由を侵害する」等と言って。

訴訟に発展した!

え~!な、なんで!

こういう人の事を「モンスターペアレント」というのか?

どういう思考をしたら、そのような考え方になるのかが、今もって全然理解できない。

「道場に神棚を祭る習慣は、明治維新後の政策によって始まった。」という研究家もいるみたいだが、それは違う。

いつの頃からは不明だが、江戸時代の道場には間違いなく、神棚は存在していた。

鹿嶋・香取などの「武神」を祭り、毎年一月に祭典などをして、お神酒を頂戴させていたようだ。

こういう事を、おろそかにする人をたまに見かけるが、武術に対する思いも、道場に対する思いも、その程度なのであろう。

そういう人は、技術的にもたいしたことはない。

現在では「道場」と言われている場所も、昔は「稽古場」と言われていた。
道場と言う言葉は、正式には仏教の修行場所の事を言う。

江戸時代より以前は、道場はほとんどが「屋外」。雨が降れば、雨の中でする。

確かに実践では、雨の中や雪の中、色々な場面で稽古している方が役に立つ。

現在のように、室内での稽古は江戸時代に入ってから。

毎日稽古できる場所があるというのは、それだけで幸せである。

もっともっと活かさないといけない。

現在、不二流体術の道場では、稽古の始まる前と稽古の終わった後に、雑巾がけから便所掃除など、まずは「掃除」から始り、掃除で終わる。

自分が使う場所を綺麗にするのは、当たり前の事である。

■不二流公式ホームページ
■不二流公式モバイルページ
■mixi(ミクシー)版 宗家の日誌
■livedoor(ライブドア)版 宗家の日誌
■Ameba(アメブロ)版 宗家の日誌
奉納演武会日程情報やDVD・書籍等のお知らせが貴方の手元に届きます。
登録宜しくお願い致します。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
■不二流体術ニュースマガジン

2008年9月26日金曜日

「へろへろ」

今日は久しぶりに「山稽古」をした。

夜中の11時から朝の10時まで。

ついつい張り切りすぎてしまった・・・

さすがに、山から下りて来た時には「へろへろ」。
歩くのもツライ・・・

今なら小学生にも負けてしまうかも・・・(笑)

腰はパンパン。足はガクガク。老人の様な歩き方になっている(笑)

まだまだ修行が足りないですね。

今日は普段とは違う事が・・・

山を登っていると、ある関節技の場面が何度も何度も脳裏をよぎる。

何度も立ち止まり、繰り返す。

これは発見なのか、どうなのか。道場に戻ってからしてみよう。

いつも途中で立ち寄る小さな神社があります。もちろん無人の。

そこで座禅をしたりするのですが、今日は人が寝ていました。

真夜中なので互いにビックリです。修験者の方でした。

初めてみました。修験者の方が山籠りされている姿を。

いいですね。こういう姿を見れるだけで「本物」はいると確信できます。

そして毎回、鹿は会うのですが、今日はかなり近くで会いました。
会いに来てくれたのか!(笑)

そんなわけないか(笑)

触りたくなり、更に近づき口笛を吹いていると、今度は鳥達が騒ぎ出しました。

山頂は物凄い霧の中。

このような状況になると、自然の凄さを改めて感じます。

神秘的という表現があっているかどうか。映画にでも出てきそうな場面です。自然の中に身を置くと、心が落ち着きます。

自然の中にいると、自分自身の小ささを身にしみて感じます。

自然の中に身を置くと、エネルギーを貰います。

自然の大きさを感じると、人間相手はた易く思えるようになるのは私だけなのであろうか?

身体はへろへろですが、心は爽快。

人それぞれ様々な鍛え方があります。

私にとっては、これが何よりの鍛え方。

こういう事が出来る事に「感謝」です。

今日は、もう動けません(笑)

■不二流公式ホームページ
■不二流公式モバイルページ
■mixi(ミクシー)版 宗家の日誌
■livedoor(ライブドア)版 宗家の日誌
■Ameba(アメブロ)版 宗家の日誌
奉納演武会日程情報やDVD・書籍等のお知らせが貴方の手元に届きます。
登録宜しくお願い致します。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
■不二流体術ニュースマガジン

2008年9月24日水曜日

「生き様」

「武術」と「武道」と「武士道」を一緒に考えている人達は意外に多い。

「武士道」とは「いかに自己犠牲をして、主君に忠誠を尽くすか」。

「いかに死ぬか」を追求した。

「死に様である」。

これは武士の一つの理想像であった。

「武術」は「いかに生き残るか」を追求した。

一生をかけた修行と伝授によって、「いかに生きるか」を自問自答していた。

「生き様である」。

どちらも両極端であり、相反するものであるが、両方とも理想の武士像を追及している姿。

内容は全く別のものであるが。

明治時代の初めまで、「武術」という言葉は残っていたようだ。

講道館柔道が「柔術」を「柔道」と称して、これが浸透する。

「剣術」も「剣道」と統一される。

私自身はと言うと、武術家としてありたいと常々思い考え行動している。

「己に克つ」事こそが武術修行の目的なのに、この様な言葉にとらわれている自分は情けない。

またまた反省である。
なんか、いつも反省しているなぁ(笑)

「俺の生き様を見ろ!」。そう言える「男」になれ!これが、先代の教えであった。

■不二流公式ホームページ
■不二流公式モバイルページ
■mixi(ミクシー)版 宗家の日誌
■livedoor(ライブドア)版 宗家の日誌
■Ameba(アメブロ)版 宗家の日誌
奉納演武会日程情報やDVD・書籍等のお知らせが貴方の手元に届きます。
登録宜しくお願い致します。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
■不二流体術ニュースマガジン

2008年9月23日火曜日

「摩利支天」

私は昔から「真言密教」に縁がある。

私自身の家は、真言密教ではない。

「真言密教」というのは「弘法大師・空海」が日本で広めた仏教である。「四国八十八ヶ所」などは有名です。
私が福岡で行っている「滝」も、「真言密教」の場所が多い。

「武術」と「真言密教」には深い繋がりがある。

「武術」の「秘事伝授」や「修行段階」「免許制度」などは「真言密教」を参考にして、出来ている。

武術には「呪法」や「法術」と言われる「真言密教」から学んだ極意と言われるものもある。

多くの流派で採用されていたのは、「九字十字護身法」である。

真言密教では「摩利支天兵法九字秘密法」というもの。

昔の武将達は「武士の守護神」として、「摩利支天」と言う女神を崇拝していた。
武術も技術だけで終わらずに、究極のところ「戦わずに勝つ」と言った技術を超越した「境地」を求めた為。

スポーツではなく、常に「生死がかかった」バックボーンがあった為である。

「真言密教」では入門の際に出家受戒を行い、神文を阿闍梨に提出する。
「武術」では入門の際に「起請文」を師範に提出する。

今でいう「誓約書」です。

「真言密教」では全ての修行が終了した時点で「免許授与」の際には、
「伝法潅頂の式」を挙げる。

この「伝法潅頂(でんぽうかんじょう)の式」を正式には「印信許可」という。

これを得た者は「阿闍梨(あじゃり)」となり、武術でいうところの「師範」となる。

武術の免許皆伝を「印可(いんか)」「印許(いんきょ)」というのは、この「印信許可」を略している 。

■不二流公式ホームページ
■不二流公式モバイルページ
■mixi(ミクシー)版 宗家の日誌
■livedoor(ライブドア)版 宗家の日誌
■Ameba(アメブロ)版 宗家の日誌
奉納演武会日程情報やDVD・書籍等のお知らせが貴方の手元に届きます。
登録宜しくお願い致します。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
■不二流体術ニュースマガジン